sato

Mixed Media Artist

The Great East Japan earthquake has happened in 2011.Because it was enrolled in a university of the Tohoku and Kanto area,sato couldn't think as a somebody else's problem,and felt deep anxiety and thought to have.But nothing is made and he has begun to draw his hand to hope.Art activities of sato became synonymous to a prayer at the same time.It's because he thought he’d like to be anonymous that he has decided to introduce oneself as sato when beginning art activities.It's being hoped that he'd like to be someone's other spokesmen in a compensation.Artist's face doesn't like being shown on every aspects of life for it.It's also for it that“s”is lowercase.
He participated with 2012 and 2013 in a group exhibition and held a solo exhibition in 2014 at last.Sapporo international art festival 2014 (guest director: Ryuichi Sakamoto) was held in a simultaneous period,and it was approved as related event.After doing basic training of a croquis daily,sato keeps drawing an abstract painting,not sticking to a subject matter for a painting and a style and drawing freely by the way to draw by a right brain.sato begins to start overseas operations to come near and release a work widely.He heled solo exhibition in New York in 2017.He is aiming at more work announcements at foreign countries from now on.When doing future's activity,sato regards Gerhard Richter as an ideal artist.It's also possible also to draw a good representational painting dreadfully and draw an abstract painting,and moreover he's also dealing with a solid work and agrees with directionality of sato.
2011年に東日本大震災が発生した。東北・関東地域の大学に在籍していたsatoは、他人の問題と思えず、強い不安を感じた。理由は不明だが、その時に祈る手を描き始め、同時に、彼の芸術活動は祈りの代名詞となった。
彼は、現代の芸術ではもはや実行されない技術や方法はほぼないと考える。そのため、独創性を強調しない。彼が使用したアート素材や技法は多岐にわたり決まったスタイルを持たない。日本での活動後、海外にも進出を始めた。2017年にニューヨークで個展を開催し、海外での作品発表をさらに目指している。
彼は活動の方向性として、ゲルハルトリヒターを理想的な芸術家と見なす。きわめて具象的な絵画を描き、抽象的な絵画を描くことも可能で、さらには立体作品も作っており、satoの方向性に合致する。
彼はギャラリーを管理し、若いアーティストを育成するために、2020年に事務所を開設し、今後も活動の幅を広げる予定だ。

Past Exhibitions

-JCAT New York SOLO Exhibition in June 2021
-JCAT New York SOLO Exhibition in June 2020

Interview

 
 

Q: アーティスト活動を始めたきっかけは何ですか?

東日本大震災です。大学は仙台、大学院以降は千葉で過ごしましたので、他人事とは思えませんでした。震災当時は北海道に移住しており、遠く離れた第二の故郷に対して何もできないという悔いとかなり強い不安を抱えた毎日でした。そのような時に、なぜかはわかりませんが祈る左手を鉛筆で描いてみたところ、その間だけ不安から救われたように思えました。それ以来、絵を描くことが祈ることと同義になりました。
その後、立体作成、版画、デザイン、パフォーマンスなどと活動を広げていますが、どれを行ってもかの震災に対する思いは低音重奏しています。

Q: 現在のあなたのアーティスト活動(日本、海外両方)、これまでの功績(受賞歴や主な展覧会などあれば)などはありますか?

最初は今住む札幌市内で展示を始めました。初の個展は札幌国際芸術祭の同時期開催事業として認定されました。ですが、より高いレベルで勝負したいという思いが強く、機会を探していたところJCATを知り、参加しました。また、実際にいたみありささんとお会いする機会があり、Ouchi Galleryで個展を行わせていただくきっかけとなりました。
その後はJCATを中心として、グループ展にも何度も参加しています。
ただし今年はArt Olympiaへの出品のために作成、準備などの時間がかかり、グループ展から遠ざかっています。来年からまた参加します。
先述のように海外で勝負したいという思いが強くあり、Facebookのアートグループで作品を発表して評価を確認しています。130以上のグループに参加していますが、日本人とは反応が異なることがあり、勉強になります。ある日気まぐれのように初めて描いた抽象画が海外の方々に特に評価されて、継続的に抽象画を描くきっかけともなりました。

受賞
16th Gwannyummhik Award (2016)

個展
sato+Lahir=2014(札幌) (2014)
Colorism(札幌) (2016)
Love & Peace & Happy(Ouchi gallery NY) (2017)
Conspiracy(札幌) (2018)
sato JAPAN TOUR TOKUSHIMA 2018(徳島) (2018)
グループ展多数参加

Q: アーティストとしての目標は何ですか?

歴史に名前を残すことです。世界一になるだけでなく、数万年の芸術の歴史の中で最も功績を残した作家となることです。例えるならばマルセル・デュシャンのような作家です。そして、そのような作家の根底にはかの震災に対する思いがあったのだと知っていただければ本望です。そのような茨の道を進むことがかの震災に対して何もできなかったことへの贖罪のような気さえしています。

Q: あなたの作品を一度も見たことのない人に、あなたがどんな作品を作っているか説明してみてください。

ジャンルはなんでもありです。スタイルも限定していません。観たことのないようなオリジナリティーを目指して悶絶した結果が私の作品です。と言いながら伝統的な技法も多用します。
ジャンルでは、油彩、水彩、アクリル、パステル、鉛筆、PCによるデザイン、版画各種(シルク、リトグラフ、板目・木口木版など)の二次元作品に加えて、彫刻、インスタレーションの作成、さらにはパフォーマンスも行っています。現在はアニメーションの作成を初めて行っており、音楽も自分で演奏するつもりです。
作風は様々ですが、過去に影響を受けたものがヒントになるかもしれません。1980年代日本のイラストレーション、重田良一先生、金森宰司先生、ゲルハルト・リヒター、そしてマルセル・デュシャンなどから影響を受けてきました。
現代芸術家を自称していますが、他に言いようがないため、とりあえずの呼称としてContemporary artistとしています。真の現代芸術家はアバンギャルドだけでもなく、古典的かつ伝統的な作品も作り、それら(前衛-伝統)の括りからも自由であるべきだと思っています。また、「10年前の現代芸術」というような奇妙な説明が横行するようになっているため、今後は(現代)芸術家、(Contemporary) Artistと括弧を付して立場を明確にしようと思っています。とはいえ、技術、思想、ジャンル、作風などのすべてから自由な立場で、芸術の可能性を広げたいという姿勢は変わりません。

Q: 作品を通して観る人に何を伝えたいですか?

芸術の諸問題に対してご一緒に考えてみませんか。例えば、現代芸術の「現代」とは何でしょう? 色と形はどちらが重要でしょう? そもそも芸術とは何でしょう? それらは、答えが出るのは時間がかかるかもしれません。ですが、作品のあちらこちらに私なりの意見を忍ばせています。ですので、一緒に考えてみませんか、とのお誘いです。
さらには、自分でもアートはできるということを伝えたいと思っています。お金が無い、場所が無い、能力が無いから芸術をしたいけどできないというお話をうかがうことがあります。そこで、私は芸術の民主化のために、こんな方法でも芸術はできると示してきたつもりです。例えば安いゴミ袋で立体作品を作ったり、シャーペンでコピー用紙に描いたアニメメーションを作ったり。芸術は、表現したいものがあればいかようにでも行うことが可能です。さあ、憶することなく、どうぞご一緒に。と言い続けているつもりです。これがひいては芸術全体の底上げになって、見たことのない作品が増えるとうれしいです。